二つの世界対戦

スポンサーリンク
第一次世界大戦とロシア革命

キール軍港蜂起と第一次世界大戦の終結

皇帝の戦い 1918年に行われたドイツ最大の西部戦線への大攻勢のこと。ブレスト・リトフスク条約で、ロシアと休戦したあと、東部戦線の戦力を西部戦線へと向けたが、補給物資の不足のために進撃は止まってしまいました。この戦いを皇帝の戦いカイザー・...
第一次世界大戦とロシア革命

アメリカ合衆国の参戦とソヴィエト(ロシア)政府との休戦協定

1917年、第一次世界大戦に転機が訪れます。 中立国・アメリカ合衆国の参戦と、 ロシアには十月革命で、 ソヴィエト政権が成立しました。 アメリカ合衆国の連合国支援 ウィルソンの再選 1917年1月、ウィルソンがアメリカ合衆国大統...
第一次世界大戦とロシア革命

イギリスの戦時秘密三枚舌外交とその矛盾

イギリスは戦後の同盟国側の領土・植民地の配分を 中立国を味方に引き入れるために、 秘密条約を結んでいます。 今回は、 イギリスの三枚舌外交と、 それがきっかけで引き起こした 現在のパレスチナ問題について ざっくりとご紹介し...
第一次世界大戦とロシア革命

第一次世界大戦における総力戦体制と挙国一致内閣

新兵器の導入 第一次世界大戦の初期には、参戦各国ともに、 陸海軍に150機~200機程度の航空機・飛行船部隊を持っていましたが、 航空機・飛行船の任務はほとんど偵察にありました。 イープルの戦い(毒ガス初使用) ドイツ軍は膠着した...
第一次世界大戦とロシア革命

ドイツのシュリーフェンプラン(シュリーフェン作戦)とその破綻

シュリーフェンプランとは? 中欧に位置するドイツはロシアとフランスという東西の両強国に挟まれるという構図にありました。 そこで、ロシアとフランスの2正面作戦に備えて作られた計画です。 1906年まで参謀総長の地位にあったシュリーフ...
第一次世界大戦とロシア革命

サライェヴォ事件で第一次世界大戦が勃発

サライェヴォ事件 1914年6月28日、 オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、 オーストリアに併合されたボスニア州での軍事演習視察に来ていました。 視察はセルビアの急進的民族主義者を刺激することをかねてよ...
第一次世界大戦とロシア革命

バルカン半島の危機~2度に渡るバルカン戦争とヨーロッパの火薬庫~

オーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合 民族対立 オーストリア=ハンガリー帝国は 領国内のスラヴ系諸民族にパン=スラヴ主義の浸透を恐れ、 バルカン半島への勢力拡大を狙っていました。 ドイツのゲルマン民族によるバルカンへの...
アジアの情勢

トルコ革命

かつて栄華を誇ったオスマン帝国もだんだんと領土縮小していき、遂に何世紀にもわたって君臨した帝国は滅びてしまう。 第一次世界大戦においてのオスマン・トルコ帝国敗戦 第一次世界大戦とは? 「ヨーロッパの火薬庫」としてかねてより危惧されていたバル...
スポンサーリンク