内陸アジア世界の変遷

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元末の情勢と紅巾の乱

元末の情勢 元末の混乱 14世紀、 クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。 帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。 代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内...
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第2回日本遠征(弘安の役)

第2回日本遠征(弘安の役)の目的モンゴルは南宋を滅亡させた後、元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題化。南宋の兵士に俸給を払う→財政圧迫南宋の兵士を放置→兵士が不満→反乱そこで、南宋の兵士の中から志願者を募り、海外遠征に振り向けることにした...
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海底で発見!幻の軍船~730年前 元寇の謎~

興味深い内容です~。丸木舟に次いで古い船なんですね。 聞いた話によると、モンゴル人が短期間で巨大かつ大量の造船命令を 高麗人にしたところ、高麗人は手を抜いたという話をちらっと聞いた話がありますけど、 どうなんでしょうねー。
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第1回日本遠征(文永の役)

遠征の目的元朝1274年南宋に対する総攻撃を開始。一方、日本が日宋貿易を活発に行なっていたため、元朝は南宋と日本が極めて親しい関係にあると認識。 南宋攻撃中に、背後から日本の派遣を懸念したモンゴルは、日本に元軍の強さを見せつけるため、及び日...
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元朝の日本遠征の経緯

元朝の対日交渉 モンゴル軍はチンギス・カン(チンギス・ハン(ハーン))の時代から高麗へ侵攻 元朝1273年高麗を属国化→高麗を仲介役として日本と交渉。1266~71年 国書を携えた使節団を3回派遣 国書の内容武力行使に言及する部分はあるもの...
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元の成立

元の成立 モンケの死によって、後継者を決めなくてはならなくなりました。 しかし、モンケの子供たちは20代と若く即位できず、 モンケの弟のフレグは遠征中のため即位できませんでした。 そのため、後継者はクビライ(フビライ)とアリクブ...
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モンケ・カン(モンケ・ハーン)

即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251年トゥル...
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バトゥの「西征(ロシア・東欧遠征)」

バトゥはまず始めに、ヴォルガ川湖畔からキプチャク(トルコ系遊牧民に由来)大草原(カスピ海、黒海、カフカスの北部一帯)を征服。 1237年ルーシ(ロシア)侵攻キエフを始めとするロシア諸都市を攻略し、キエフ公国を壊滅。 1241年、ポーランド・...
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オゴデイ・カン

クリルタイで推されて、即位したチンギス・カンの第三子オゴデイは、チンギス・カンの再開した対金戦争を継承し、三方(オッチギンの左翼軍、オゴデイの中央軍、トゥルイの右翼軍)から金を攻略を試みる。 1232年、トゥルイの右翼軍と金の主軍が会戦。→...
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蒼き狼の大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)の建国

最初は弱小のモンゴルのテムジンは、父は殺され、妻は孕ませられ、散々でしたが一族を率いるときがやってきて、ユーラシアの覇王となる日がやってきます。
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