日本史

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戦国時代

織田信長の尾張統一

浮野の戦い 岩倉城の織田伊勢守家・織田信賢(おだのぶかた)が 美濃国の斎藤義龍と結んで織田信長を攻撃しました。 織田伊勢守家(岩倉織田家) 尾張国上四郡を領する嫡流の守護代家です。 この頃は織田信安の子である 織田信賢と織田信家...
戦国時代

織田信長、謀反を企てた弟・織田信行を殺害

織田信長と織田信行の家督争い 織田信行は織田信長と2歳違いの兄弟です。 織田信長が兄で、織田信行が弟です。 稲生の戦い 1556年8月22日、 織田信行は、 父・織田信秀の宿老である 林秀貞(はやしひでさだ)・柴田勝家(し...
戦国時代

織田信長と生駒家宗の娘・「吉乃」との結婚

織田信長の正妻である 帰蝶(濃姫)との間には子どもがいませんでした。 結婚 吉乃(きつの)は、尾張国小折村(こおりむら/江南市)の 土豪・生駒家宗(いこまいえむね)の娘です。 織田信長は、尾張清須城から近臣十数人を供に、 何...
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戦国時代

織田信長の清須城入城~主家・清須織田家の滅亡~

尾張守護・斯波義統の自刃 1554年7月12日、 尾張守護・斯波義統(しばよしむね)に 尾張下四郡の守護代・織田信友(おだのぶとも)と、 その家臣で小守護代・坂井大膳(さかいだいぜん)らが 斯波義統の子・斯波義銀(よしかね)が ...
戦国時代

聖徳寺の会見(織田信長と斎藤道三の同盟確固に)

前回、斎藤道三(さいとうどうさん)の娘 帰蝶(きちょう/濃姫/のうひめ)を 織田信長に嫁がせました。 その織田信長がうつけ者だという噂の 真相を確かめるために、 濃尾国境の中立地帯にある 尾張富田の聖徳寺(しょうとく...
戦国時代

織田信長と斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)の結婚・夫婦に

織田信秀と斎藤道三の講和 加納口の戦い 1547年9月、加納口(かのうぐち/現在の岐阜市)で、 織田信秀と斎藤道三が戦い、 斎藤道三が勝利し、織田信秀は敗退します。 小豆坂の戦い 1548年3月、小豆坂(あずきざか/現在の岡崎市...
歴史ニュース

日本最大の古墳・仁徳天皇陵発掘調査開始 宮内庁と堺市が共同で

日本最大の前方後円墳として知られる仁徳天皇陵。 墳丘の長さはおよそ500mあり、 三重の堀で、囲まれています。 今回の調査は 2つある堤の内側の第一堤で行われ、 南東部の3箇所で幅2mの溝を掘り、 埴輪が埋まっている位置...
戦国時代

織田信長(吉法師)の誕生-2歳で那古野城主に-

尾張での勢力 守護・斯波氏と守護代・織田氏 尾張では、 守護の斯波氏が守護代の織田氏に実権を奪われていました。 織田氏も2家に分かれ、 上4郡を支配する岩倉城の 織田伊勢守家(おだいせのかみけ)と 下4郡を支配する清須城の...
明治時代

明治時代の兵制・軍制~理念は「国民皆兵」?~

明治時代の兵制・軍制はどんなものだったのでしょうか? みていきましょう。 理念 国家を強化するために、これまでの諸藩士を中心とした軍隊にかわって、 徴兵制にによる国民を基礎とした軍隊を作り上げる必要性がありました。 そこで出て...
明治時代

廃藩置県(1871年)-中央集権国家に向けて-

版籍奉還 版籍奉還では、 名目上の中央集権体制は強化されましたが、 知藩事と人民の関係は、 藩主と領民であったと同じで、 封建的な関係でした。 中央集権国家を作り上げるために、 廃藩置県を実施します。 廃藩置県 ...
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