平安時代後期

スポンサーリンク
平安時代後期

平氏政権の全盛~この一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし~

平清盛の政治~六波羅政権~ 平清盛が平治の乱に勝利して、 六波羅政権を確立します。 実は平清盛の前に、 一族の土台がちゃんとありました。 六波羅政権 平清盛は1167年に武士として最初の太政大臣となりました。 ...
平安時代後期

平治の乱と平氏政権への道

前回、伊勢平氏の発展と保元の乱で、 勝った側の武士同士の対立が戦いの原因となりました。 では、今回の平治の乱をみていきましょう。 平治の乱の背景 後白河天皇の譲位と院政の開始 保元の乱のあと、1158年(保元3年)に後白河天皇...
平安時代後期

伊勢平氏の発展と保元の乱

伊勢平氏の発展 桓武平氏と伊勢平氏の関係性 平忠常の乱よりあとのこと 源氏に立場は取って代わられてしまい 桓武平氏一族は散り散りになってしまいました。 関東に残った桓武平氏の中には、 源氏の家人となるものもいたそうです。 ...
平安時代後期

仏教の衰退と大寺院の僧兵による荘園争奪戦

白河上皇の天下三不如意の中には、 山法師というのが入っていました。 これは延暦寺の僧兵だといいました。 つまり、天台宗の総本山延暦寺でさえ、 僧兵を使ってでも、収入をとりもどさなければならないほど、 仏教的な権威が衰退して...
NO IMAGE 平安時代後期

院政の構造~院政を支える仕組み~

院政の構造をこれから書いておきます。 摂関政治で栄華を極めた藤原氏から 天皇を退いた院(上皇)に権力が集中していく院政。 どのような仕組みだったのでしょうか。 院政の政庁 院政がおこなわれたのは院庁(いんのちょう)です。 そ...
平安時代後期

白河上皇の院政の開始

白河天皇時代 白河天皇は1072年に即位した後、 1086年に位をおります。 はじめて院政を執り行いました。 (院政についてはのちほど) 法勝寺(六勝寺の1つ) 白河天皇は仏教に篤く、 院政時までに"〇勝寺"を 6つ...
平安時代後期

武士団の結成~武士の台頭と貴族の衰退のはじまり~

← 後三条天皇による延久の荘園整理令 武士団 つわもの(兵) 都では、武力で朝廷に仕える人々があらわれました。 地方でも、有力農民や地元の公の職に勤める 在庁官人と呼ばれる人々のなかに、 武装するものもあらわれ...
NO IMAGE 平安時代後期

荘園公領制~1国2制度~

収入源である公領 前回の、 により、 貴族や寺社の所有する荘園と、 国司が支配する公領(こうりょう/国衙領/こくがりょう)に わかれました。 律令税制の崩壊 国家財政...
平安時代後期

後三条天皇による「延久の荘園整理令」

藤原道長の子、藤原頼通と藤原教通には子どもができませんでした。そんな中、藤原氏と血縁関係が薄い後三条天皇が即位します。後三条天皇は藤原氏の荘園を減らし、藤原氏の勢力を減らすために、荘園整理令を出します。藤原氏の摂関政治は力を失っていきます。
歴史ニュース

福岡出土の瓦、中国で生産 日宋貿易の解明へ前進

福岡出土の瓦、中国で生産 日宋貿易、千キロ越え - 47NEWS(よんななニュース) 九州出土の瓦:中国産と型や成分一致 日宋貿易の解明へ - 毎日新聞 福岡出土の瓦、中国で生産 日宋貿易、千キロ越え 要訳 鹿児...
スポンサーリンク