日本史

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鎌倉時代

守護と地頭の設置~鎌倉時代の実質的始まり~

源頼朝追討の宣旨 1185年10月、 後白河法皇は源頼朝を討つ命令を源義経に遣わします。 この動きを知った源頼朝は、 土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)に命じて、 京都で源義経を襲わせますが、失敗します。 義経追捕の院宣 ...
平安時代後期

平氏の有力家人・阿波民部大夫重能

阿波民部大夫重能とは? 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した阿波の豪族です。 阿波民部大夫重能は平氏方の有力家臣として活躍しました。  美濃・尾張の源氏方と合戦 「玉葉」治承5年(1181年)2月29日条  「伝え聞く...
鎌倉時代

鎌倉幕府の役所

1180年、鎌倉に入った源頼朝は役所づくりをはじめる。 侍所 関東の武士団を御家人として編成するために侍所(さむらいどころ)を設置します。 文字通り侍、つまり、御家人を統率するための役所です。 別当 侍所の長官職を別当...
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平安時代後期

治承・寿永の乱と平家の滅亡

平清盛と安徳天皇 1180年安徳天皇が即位します。 安徳天皇とは? 安徳天皇は平清盛の娘である建礼門院徳子を母に持ち、 後白河法皇の皇子、高倉天皇を父に持つ。 平氏追討の令旨 後白河法皇の第2皇子、以仁王(もちひとおう)が、...
平安時代後期

平氏没落を早めた「鹿ヶ谷の陰謀」

以前、平氏政権の全盛~この一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし~で 平氏が官職の独占によって、全国の支配をはかりました。 しかし、独占によって、旧勢力である 追いやられた公家勢力から強い反発を 受けることになります。 ...
平安時代後期

日宋貿易について~音戸の瀬戸・大輪田の泊・誰が?・輸出入品~

平氏は平忠盛以降、日宋貿易にも力を入れだします。 平忠盛の政治 日宋貿易の背景 11世紀後半以降、日本と高麗・宋との間で商船の往来が活発となり、 12世紀に層が北方の女真の立てた金に圧迫されて、 南に移ってから...
弥生時代

奈良・纒向遺跡出土の桃の種、年代測定 邪馬台国論争に一石

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった 大量の桃の種の年代を測定した結果、女王・卑弥呼の時代と重なることがわかりました まぁ、個人的には、桃の種はあくまでも状況証拠で、 決定的証拠とは言えな...
江戸時代

江戸幕府による天皇と朝廷と公家への統制

江戸幕府は体制を維持させるために、 さまざまな階層を触書や法度、掟を使って統制しました。 今回は、天皇と朝廷と公家への統制を見ていきます。 公家統制 まず、公家を見ていきます。 公家に対しては、 1613年に 公家...
明治時代

版籍奉還~その意味と行った理由~

版籍奉還とは? 土地と人民を天皇に返すことです。 版籍とは? 版・・・版図(はんと/支配領域のこと) 籍・・・戸籍(人民のこと) 版籍奉還の思想 王土王民論 すべての土地とすべての民は国王のものだ! とい...
明治時代

明治維新政府の発足と五箇条の誓文

明治維新政府は、まず、全体の方針を打ち出します。 五箇条の誓文 最近は御誓文とは言わないようです。 これは、明治天皇が国民に発したのではなく、 紫宸殿(ししんでん)で天地神明に誓約する形で出したものです。 骨子は開国和...
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