ベトナム

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帝国主義と列強の展開

フランスの植民地一覧

ビスマルクの巧妙な外交戦略により、 ヨーロッパで孤立してしまったフランスは、 植民地拡大政策をうってでたと前回お伝えしました。 そこで、今回はフランスが支配した植民地を一覧形式でまとめています。 本記事では、第二...
奈良時代

恵美押勝と道鏡

大仏開眼供養 752年、孝謙天皇(こうけんてんのう)の時代に 盧遮那仏(るしゃなぶつ)が完成。 開眼供養の盛大な儀式は東大寺大仏殿で催された。 大仏開眼供養の開眼導師をつとめたのはインド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)。 仏教...
宋の中央集権化

宋代の文化

宋代の学問・思想 宋学(朱子学) 経典の字句解釈ばかりだった漢~唐にかけての訓詁学を否定し、 代わりに宇宙論や人間論を展開し、同時に知の実践に重んじた新たな儒教学。 北宋の周敦頤(しゅうとんい)は太極図説(たいきょくずせつ)を書...
宋の中央集権化

宋の社会

形勢戸と官戸と佃戸 唐末から台頭してきた宋代の新興地主層は形勢戸と呼ばれ、そのうち官僚を出した特権階級層は官戸という。官戸は戸籍に明記され、差役の免除など役の減免などの特権が一代に限って与えられた。彼らは大土地所有者たちで、彼らの土地を荘...
隋・唐時代の繁栄

唐の建国と貞観の治

唐の建国 李淵(りえん)とは? 太原留守の任にあった 隋末の混乱の中、各地の反乱を抑えて、 中国を再統一したのは 李淵(りえん)・李世民(りせいみん)親子 であった。 関中を占領すると、 李淵(高祖)が唐を建国し、 都...
NO IMAGE 古代中国文明

後漢

光武帝の時代 後漢の建国 漢一族で武帝の弟のしそんである劉秀(りゅうしゅう)が赤眉の乱(せきびのらん)を平定し、 25年後漢(こうかん)を成立させた。漢帝国の復活である。 光武帝(こうぶてい)は200年の安定の基礎を築いた。 戦乱で荒廃した...
NO IMAGE 古代中国文明

武帝の政治

武帝の内政政策 推恩の令 第7代武帝(位141~87)は諸侯に対して推恩の令(すいおんのれい)を発布して、 諸侯の勢力を弱めた。 内容 推恩の令とは嫡子のみの相続から子弟すべてに領地を分け与えるおう命じたもの。 その結果、諸...
NO IMAGE 古代インド・東南アジア

ベトナム北部の古代史

ベトナム先史時代 畑作文明に生まれた黄河文明に対して、 長江流域の稲作地帯には越人が住んでいた。 越人は呉・越・楚などの国を建国し、 南下して青銅器〜鉄器文化を北ベトナムに伝えた。 青銅の太鼓の銅鼓(どうこ)を代表とするこ...
NO IMAGE 古代インド・東南アジア

スコータイ朝

タイ系諸族 ベトナム北部からビルマ東北部にかけて住んでいる。 歴史的背景 南詔国とタイ系民族の南下 7世紀半ば頃より、南詔国の都・大理周辺で暮らしていたとされるが、 その辺りより東南アジアに南下し、バーンと呼ばれる小さな村落を作っ...
NO IMAGE 古代インド・東南アジア

古代カンボジア

古代カンボジア 港市の成立 起源前後からインドの東南アジアなどへの進出が活発になった。理由はカースト制の排除を目指す仏教布教などがある。インド人の海洋進出者は地中海世界の人間が買ってくれる黄金、香料、樹脂などを求めて、東南アジアへやって...
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