天皇

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明治時代

版籍奉還~その意味と行った理由~

版籍奉還とは? 土地と人民を天皇に返すことです。 版籍とは? 版・・・版図(はんと/支配領域のこと) 籍・・・戸籍(人民のこと) 版籍奉還の思想 王土王民論 すべての土地とすべての民は国王のものだ! とい...
明治時代

明治維新政府の発足と五箇条の誓文

明治維新政府は、まず、全体の方針を打ち出します。 五箇条の誓文 最近は御誓文とは言わないようです。 これは、明治天皇が国民に発したのではなく、 紫宸殿(ししんでん)で天地神明に誓約する形で出したものです。 骨子は開国和...
幕末

江戸幕府の動揺と幕末の政治・経済大混乱と~安政の大獄から桜田門外の変へ~

日本は1854年に開国して、1859年から貿易が始まりました。 当時の日本においての金の価値は、 海外と比べて低かったために、 金が海外へと流出を初め、日本経済は混乱しました。 井伊直弼への責任追及の声 日...
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林業史

林業史①~日本の林業のはじまりと公私共利~

日本の林業のあけぼの 朝廷による森林利用・管理制度が初出。「山守部(やまもりべ)」が応神天皇の皇室所有林の保護することがはじまり。 森林管理または林産物生産の職制や詳細は不明。 法制度も十七条憲法まで制定された頃で、まだ林政の...
占領下時代

米国の日本占領と改革のはじまり

米国の占領。 アメリカの間接統治のはじまり GHQ 日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏。 1945年9月2日の降伏文書調印から、1952年4月8日の講和条約発効までの約7年間、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ-SQAP/Genara...
平安時代中期

平安時代の国際関係と刀伊の入寇

9世紀から10世紀にかけての東アジアの動乱の結果、日本は積極的な孤立政策をとるようになる。安史の乱などによって荒れ果てた中国には訪れる意味はなく、宋の時代になっても国交は開かれなかった。しかし、民間の貿易は盛んになっていった。  また、女真族が攻めてくるこれを刀伊の入寇という。
平安時代中期

内訌時代と藤原道長・藤原頼通の時代

内訌時代 安和の変によって他氏排斥が完了した後(内部リンク:藤原氏の他氏排斥を参考)、藤原氏の内部、身内同士で対立がおこる。内訌というのは内部対立という意味。藤原北家の内部で主導権を巡る争いが起こったわけである。「氏の長者」という摂政・関...
平安時代中期

承平・天慶の乱〜平将門の乱と藤原純友の乱〜

承平天慶の乱は、平将門の乱と藤原純友の乱の2つを年号にちなんで名付けられた名前です。 中央政府の軍事力の低下や無力さを暴露するとともに、 地方武士の実力を朝廷に知らしめた事件といえます。
平安時代中期

延喜・天暦の治~醍醐天皇・村上天皇の治世~

公平な人事が行われ、学問が興隆した時代。 醍醐天皇の時代 延喜の治とは 醍醐天皇の治世(897年~930年)を延喜の治という。これは当時の年号の「延喜」をとったもの。延喜という年号は三善清行(みよしきよゆき)によって901年が辛酉の年にあっ...
平安時代中期

藤原家の他家排斥

承和の変 変の概要 842年、嵯峨上皇の死を契機に、恒貞親王(つねさだしんのう)の部下である橘逸勢(たちばなのはやなり)と伴健岑(とものこわみね)が謀叛を企てたとして失脚させられる事件発生。時の天皇は仁明天皇。藤原冬嗣の子・藤原良房(ふじわ...
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