江南

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宋の中央集権化

宋の社会

形勢戸と官戸と佃戸 唐末から台頭してきた宋代の新興地主層は形勢戸と呼ばれ、そのうち官僚を出した特権階級層は官戸という。官戸は戸籍に明記され、差役の免除など役の減免などの特権が一代に限って与えられた。彼らは大土地所有者たちで、彼らの土地を荘...
宋の中央集権化

靖康の変と北宋の滅亡

靖康(せいこう)元年(1126年)の冬、金は宋のこれまでの嘘や約束違反を責めて、開封を占領。莫大な財貨や芸術品とともに、上皇徽宗や皇帝欽宗、宗室や官僚総勢約3000人が北に拉致された。これを年号をとって靖康の変(せいこうのへん)という。北宋は滅亡した
宋の中央集権化

神宗の宰相・王安石の新法~その政策の内容は?~

11世紀後半、 財政破綻を克服するため、 第6代皇帝神宗(しんそう)は改革を目指した。 神宗に登用されて約7年の間、 宰相として改革を実施したのが官戸出身の王安石(おうあんせき)。 彼は政治家にして唐宋八大...
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宋の中央集権化

五代十国時代

朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外は...
明・清代の中国と近隣国

朱元璋(洪武帝)の台頭と明の建国

朱元璋 誕生・幼少期 1328年朱元璋(しゅげんしょう)は 安徽省濠州の貧しい中でも一番貧しい小作農(佃戸)の家に生まれた。(現在の安徽省徐州市鳳陽県) 本名は重八。(一族同世代の中で8番目に生まれたから) ...
モンゴル民族の発展

元末の情勢と紅巾の乱

元末の情勢 元末の混乱 14世紀、 クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。 帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。 代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内...
モンゴル民族の発展

第2回日本遠征(弘安の役)

第2回日本遠征(弘安の役)の目的モンゴルは南宋を滅亡させた後、元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題化。南宋の兵士に俸給を払う→財政圧迫南宋の兵士を放置→兵士が不満→反乱そこで、南宋の兵士の中から志願者を募り、海外遠征に振り向けることにした...
モンゴル民族の発展

元の成立

元の成立 モンケの死によって、後継者を決めなくてはならなくなりました。 しかし、モンケの子供たちは20代と若く即位できず、 モンケの弟のフレグは遠征中のため即位できませんでした。 そのため、後継者はクビライ(フビライ)とアリクブ...
魏晋南北朝

魏晋南北朝の文化

三国時代の呉~東晋・南朝までの、建業・建康を都とした江南王朝の文化を貴族文化(六朝(りくちょう)文化)という。 貴族の間で、道徳や規範に縛られない趣味の世界が好まれた。文化人の間では、老荘思想の発展である清談が流行。清談家として、世俗を避け...
魏晋南北朝

晋(西晋)

魏の帝室は一族間の争いで勢力を失う。かわりに勢力をつけたのは、司馬氏だった。 第3代曹芳(そうほう)の時代になると、司馬懿(しばい)が権力を強め、曹氏一族を追い詰め始める。 第4代曹髦(そうぼう)は司馬懿の子である司馬昭によってとうとう傀儡...
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